大正10年創業の和菓子司とし田は、初代年田政太郎が小岩にあった嶋田屋製菓から独立したことが始まりとなります。
政太郎が14歳の時に金沢より上京し、小岩にある菓子屋にて修行ののち、現在の両国本所にて干菓子専門の「半生菓子とし田」を創業。
当時の和菓子とは、砂糖や粉を固めて作る水分量の少ない干菓子が主流でした。主にお茶会席や百貨店に卸すかたちで今のように店舗を構えて一般の人たちが購入するものではありませんでした。
戦時中は、物資も不足しており砂糖は貴重品だったため、砂糖が原材料となる和菓子屋では菓子を作ることはできず休業を余儀なくされました。
戦後、和菓子に対する熱い思い、日本の復興のためにもお店の再建を決意し、両国に移転しました。
このころは、多くの和菓子職人がとし田にて修行しており、一つ一つ丁寧に作る干菓子は、たくさんの茶会席にて使っていただきました。
ところで、今の国技館は両国駅前にありますが、これは2代目。旧国技館は両国2丁目の回向院の中にありました。当時の「とし田」のお店とは目と鼻の先。実は甘党の多いお相撲さんたちにはとし田の和菓子は気に入っていただいておりました。